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「バケペンと呼ばれる理由 ― 長老と知識家、煙の向こうの談義」

  • 2 日前
  • 読了時間: 3分

 

煙る小屋、卓の上の影

 

夜が深い。地下の小屋の窓には、ろうそくの灯りが一つきり。煙草の煙が天井をなぞり、卓の上には黒い箱が据えられていた。武骨で、重く、角ばっている。誰かが息を呑めば、それだけでこの場の沈黙が割れそうな気配があった。

 

箱の正体は、ペンタックス PENTAX 67 アイレベル SMC TAKUMAR 105mm F2.4。中判フィルムカメラの一台で、現場では「バケペン」と呼ばれる類のものである。

 

卓を挟んで二人が向き合っていた。長老のチョウ・ロウは背を丸め、杖を脇に立てかけ、酒を一口だけ含んだ。前髪の隙間から覗く瞳は、灯りを映してわずかに揺れている。向かいに座るノーチェルは、いつもの饒舌を引っ込めて、黒い箱の輪郭をなぞるように指を這わせていた。

 

「これが、噂の」

 

ノーチェルが呟いた。

 

「私はずっと気になっていたのです。なぜ、この機体を皆"バケペン"と呼ぶのか」

 

長老は答えなかった。グラスを置く音だけが、小屋の空気を一度だけ揺らした。

 


 

名の由来、二つの説

 

「言い伝えがある」

 

長老が、ようやく口を開いた。声は低く、煙の中に溶けるようだった。

 

「化ける、と書いてバケ。ペンは、ペンタックスのペンよ。中判の図体で、35mm一眼の顔をしておる。それで化ける、と」

 

ノーチェルは目を細めた。普段ならここで知識を披露し始めるところだが、今夜は違った。長老の言葉を、ひと粒ずつ拾うように聞いている。

 

「化ける、というのは……つまり、姿のことですか」

 

「それも一つ」

 

長老は短く言った。

 

「もう一つは、写りよ」

 

沈黙。ノーチェルは、箱の側面にあるレンズに目を落とした。SMC TAKUMAR 105mm F2.4。中判の標準域を担う一本である。開放F2.4というのは、この大きさのフィルムを使う機体にしては、ずいぶんと欲張った数字だ。

 

「化けるのですね。シャッターを切った瞬間に」

 

「そういうことよ」

 

長老は酒をもう一口含んだ。

 

「ファインダーで見たものと、上がってきた一枚が、違う顔をしておる。期待以上か、それ以下かは、撮り手次第。だから、化ける」

 

ノーチェルは小さく頷いた。膝の上の手帳を開きかけて、やめた。今夜の話は、書き留めるものではないと感じたらしい。

 


 

傷の数だけ、撮ってきた

 

長老が立ち上がり、卓の上の箱を、皺の刻まれた手で持ち上げた。ずしりとした重さが、空気を一段沈める。

 

「トップ部に凹みが一つ」

 

長老は呟くように告げた。

 

「擦り傷が、全体に。レンズの中には、薄い曇り。だが、動く」

 

「動く、というのは」

 

「シャッターも、巻き上げも、点検済みよ。各部、確かめてある」

 

ノーチェルは何かを言いかけて、口を閉じた。傷の一つひとつが、この機体が辿ってきた仕事の証であることを、語らずとも察したらしい。誰の手から渡ったのか、何を撮ってきたのか。それは、もう誰にも分からない。けれど、今ここに在る。それだけで充分だった。

 

「価格は、十二万千」

 

長老は静かに数字を置いた。

 

「フロントのキャップが一つ、付いておる。それだけよ」

 

ノーチェルは深く息を吐き、卓に両手をついた。普段の饒舌は、今夜は最後まで戻ってこなかった。

 

「私は、この子を、次の持ち主のもとへ送りたい」

 

「それでよかろう」

 

長老はそう言って、グラスを空にした。

 



窓の外で、地下の風が鳴った。煙草の煙はゆっくりと天井を上り、ろうそくの灯りは黒い箱の輪郭を、ふちどるように照らしていた。化けるカメラは、卓の上で静かに次の出番を待っている。誰の手のひらで、どんな一枚に化けるのか。それは、撮る者の覚悟次第である。

 

この夜の卓に据えられた一台は、こちらの商品ページから引き取ることができる。傷も曇りも、すべて含めて一台の重みだ。受け止められる者だけが、次のシャッターを切ればいい。

 

 
 
 

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